『世界でも特異な日本のブナの林』
東京大学名誉教授 大場 秀章
今は本当に減ってしまったのですが、かつて北日本は広くこの林に覆われていました。
植物はだいたい温度に大変敏感で、水に対してもすごく敏感です。
日本の三つの区分
北海道、本州の北半分、南半分で違った植生が見られる。石川県や東京のあたりが境目になっている。石川や東京から西の方は、冬も緑の林常緑樹が覆っています。それに対し、北は、冬には葉っぱを落としてしまう落葉樹が卓越している。北海道は渡島半島をのぞきき針葉樹の林が広がる常緑の針葉樹が優占しているような地域は亜寒帯、それに対して、東北地方とか新潟県など、落葉樹が広がるような地域を温帯地域と呼んでいる。さらに、常緑樹が広がっている所は暖温帯という。暖温帯というのは、温帯の中でも比較的暖かい地域を指す。この様に、日本は亜寒帯と、温帯、暖温帯の3つの違った種類の区分があるといわれている。温帯の植物の中心になっているのがブナ及びブナ科の植物です。ブナは冬に葉を落とす。ところが暖温帯の常緑林を作っている木はどんなものがあるかというとシイ、カシであり、日本の暖温帯を代表する木ですが、それもブナ科の木なのです。
ブナの果実
資料、図2の木はミズナラやカシワで、ブナ科の植物です。それでこのカシワ、ナラ、カシ、こうした植物は図3に描いてあるような果実を作ります。いわゆるドングリです。そこに書いてある図2のドングリは、お皿の部分が鱗状の小さなものが密集していますけれど、この部分がブナ科の植物ではいろいろ変わります。例えばクリですね、クリもブナ科の植物ですけれど、このお皿の小さな鱗の部分がどうなっているかと言いますと、小さなクリのイガの棘になっています。それからシイの木はどうかというと、鱗状の部分がもう少し突起状になっていたりするわけです。ブナはこの部分が毛になっていまして、ブナのドングリに当たる部分は図4の絵に描いてありますけれど、4つに裂けて中に果実が入っています。
ブナの花
ブナは花粉を風がめしべまで運んで授粉する風媒花。そういう昆虫を媒介に使う植物に比べてたくさんの花粉を作ります。ハンノキとかイチョウとかマツも同じ。
世界のブナ
今日本でブナとイヌブナの二種類がある。しかし、世界中何処でもブナ科の植物が見られない。図7の世界地図に今ブナが見られる地域とどういう種類のブナが見られるを図示。北アメリカでは大西洋側にgrandifoliaアメリカブナが広い範囲に分布。アパラチア山地。以外は絶滅に瀕している状況である。これが新大陸でのブナの状況です。
ヨーロッパにおいては、sylvatica
という名前がある。これが昔の名前で欧州ブナ、今の名前でヨーロッパブナです。それがイギリス諸島の南の方、スカンジナビア半島の南端から地中海にかけて広がっています。しかし、ブナの天然林というのは何処にもありません。
ヨーロッパ、特にドイツ・フランス・イギリスでは産業革命のときに自然林がほとんど伐採され、今日のものはすべて二次林で、ドイツではブナ林を再生させています。これもある意味では人間が人工的に作った森林である。東に向かって行きますと orientalis
がカスピ海から紅海の周りに広がっています。これはコーカサスブナと呼んでいます。中国の四川省・雲南省のあたりに4種のブナがある。その他、台湾に hayatae
という台湾ブナですね、これは新高山などのわりと標高の高い所に生えている。
いろいろなブナ林
北アメリカのブナの林は、カエデ林の中にブナが生えている状況である。ヨーロッパでもカエデを伴って森林が作られる。中国の四川省・雲南省のブナは常緑のカシに混じってブナの木が生えている。おそらくこれが一番原始的な状況なんじゃないかと想像するのですけれど、ここではつまり落葉樹と常緑樹が完全に別れないで、渾然一体とした形と混じり合っている。
日本だけのブナ林
日本のイヌブナはかなりいろんな落葉樹と一緒に生える傾向がある。それに対してブナですが、これはブナ林という言い方が日本では古くからされているように、排他的に他の樹種を押しのけて優占する、ブナだけが生える、そういう現れ方をする。勿論その中に、若干いろんな木が混じりますが、一緒に生えてくる植物の数は非常に少ない。純林的なブナだけが林を作るという傾向を持つ、こういう“純林を形作るようなブナの種というのは、日本のブナだけ”です。 しかし、ヨーロッパブナも、排他的な性格を持つ林を作っていた可能性があります。
北半球に広がるブナの化石
図7の様に、世界のブナというのはちょうど地球のある緯度で、帯を締めるように広がっている。こういう分布の仕方を見てみると、昔はこれが全部つながって温帯地域を広くブナが覆っていたと言っていいと思う。
ブナの化石は今から3千万年ぐらい前の地層から見っかた。中新世という時代は前半が暖かくて後半が寒くなるのですけれど、この時代は前半も後半も、植物にとって非常に生育に適した時代であった。特に日本では中新世という時代に植物が良く茂りまして、北海道、九州の石炭のほとんどは、この中新世の時代の森林から出来たものである。これらは日本ではムカシブナと呼んでいる。
ブナがいつ頃から出てくるのかというと、暁新世っていう時代、だいたい7千万年ぐらい前、そのくらいから化石として出てきます。
日本に見られるブナとイヌブナの違い
日本には、ブナとイヌブナの2つの仲間があり、違いは、ブナの果実を見ると果実が覆われている。ところがイヌブナは果実の頭の方が完全に器から飛び出しちゃっている。ちょうどドングリのお皿から果実がつきだしている状況である。こういう構造をしているブナの方が原始的な性質で、ブナのように完全に果実を包んでしまっているような構造を持っている方が進化したものと考えられています。
以前、太平洋側のブナは、かつては秩父とか伊豆半島とかに大きい森林があった。太平洋側のブナは、太い枝でも簡単に折れる。粘りっ気がほとんどない。それに対して、日本海側のブナは、非常に枝に粘りっ気があり、特に新潟とか山形の多雪地帯ではですね、ブナは幼樹のとき雪の下で過ごしても枝や幹が折れないぐらい粘りっ気がある。植物にとっての環境的な違いがあったことが想像される。
北限のブナ
大平山のブナの分布を見ると、標高が800mを越えて1000mぐらいまでブナが出てきます。100m登る毎にだいたい 0.5 から 0.6 度は温度が下がります。1000m登ったら6度は温度が低いわけです。
北に生きるミズナラと針葉樹の秘密
ブナは日本を代表する樹木ですが、まだ分からない問題がたくさん残っている。 同じ温帯林をつくる代表的な木であるミズナラは北の方まで、稚内まで分布し、さらに樺太まで広がっている。なぜミズナラがこんな北まで行けるのに、ブナは行けないのか。ブナの材とミズナラの材の違いにあると考えられる。ミズナラというのは、いわゆるナラ。オーク材というのは、非常に大きな導管を作ります。木の中を水が行き来するが、厳冬期でも水は幹の中を動いている。マイナスになっても木内の水は凍らないが、かなり低温になると木の中の水も凍り始める。(細胞内にグリセリンがあるものは厳冬期の耐える)
温帯・暖温帯を作っているブナ科の植物は、全部被子植物です。針葉樹は仮導管といって、一個一個が短い管が、ちょうどウインナーソーセージを繋げたように連なっていて、その中を水が通っている。導管はですね、ブナとかシイの木を水が通る組織を導管といいますが、ちょうど塩ビのパイプのように上から下までずうっとつながっている。能率からいうと、導管の方がはるかに水の通りはいい。ところが温度が下がると水が凍る。水が凍ると空気の泡ができる。凍った水が溶けたとき、空気の泡が残りる。管の中を泡が占めますと水が行き来できなくなる。そうすると冬の間に、この泡ができた所から上の部分は水不足になって枯れる。ところが針葉樹は管が切れているので、泡が全部集まって大きな泡を作ることがない。能率は悪いが木を枯らしてしまうということが起きない。
ミズナラは広葉樹ですから導管を持っている。さっき言いましたように、ミズナラは非常に大きな導管を作る。これではいかに空気の泡が大きくなっても、導管を完全に塞ぐことはできない。従ってタイガといって、より北の方の針葉樹林を伐採すると、そこはヤナギとかカンバとか、ハンノキといった広葉樹が生える林ができるわけですけども、そういう広葉樹、一番北に生える広葉樹はみんな幅の広い導管を作っています。空気の泡が導管を塞ぐことができないほどの大きい導管を持っているのですね。ミズナラもそういう性質を持っているが故に、非常に低温になる地域でも生きながらえる。ところがブナはダメだと、そういうことが一つは効いているのではないかなということを、今研究してみたいと思っています。
「森林を維持する」ということ
これは完全に余談ですけれども、明治になっていわゆる和人が北海道の開発を始めるまで、北海道は広大なミズナラの林に恵まれていた。で、北海道を開拓します。何をやったかと言ったら、ミズナラの林を切ったわけです。切らなきゃ作物を栽培できない。ミズナラは大きな木で、オーク材ですね。切ってどうしたかというと、輸出したわけです。輸出したときの名前は函館オークといいます。これを大量に買ってくれたのが、当時のヨーロッパです。オーク材というのは高い。だけど函館オークは安く手に入った。だから駆け出しの家具職人とかですね、そういう人達でも函館オークは買えた。それでその函館オークを使って、新しい創作がたくさん作られた。で、それを今我々は、アンティークといってヨーロッパから輸入してわけです(笑)。そのヨーロッパ、イギリスで中心に作られたアンティークの家具の材木は何かと言うと、北海道のミズナラです。
森林は大木だけ作ってそのままにしておけばいいというものではなくて、ある程度は伐採するということも、森林の維持のためには重要かと思うのです。今や残念ながらそんな大木が鬱蒼と茂る森林というのはなくなってしまったのですけれど、日本の森林は本来、なかなか魅力ある森林です。なかでもブナ林というのは、世界には他にアメリカやヨーロッパにもブナがあるのだから、日本のブナがなくなったっていいじゃないかと、思ってはいけないのです。つまり日本のブナだけの特徴をたくさん持っている。だから私達は、やっぱりブナ林をかつてヨーロッパブナやアメリカブナがたどったように、自然のブナ林を全部なくしてしまって、なくしてしまった後で欲しいといい、じゃあ人工的につくるということをやって再生するのではなくて、今まだある残り少ないブナ林を、いい状態で保全し、できれば広げていくということに、もう少し暖かい目を向けても良いのじゃないかと考えるわけです。最後はちょっと脱線しましたが、私の話は以上です。
(質疑)
「日本のブナの林が排他的だという話しを聞いたのですけど、その原因は?」
植物が排他的になりえる、一番植物が通常良くやる方法は、根から他の植物の生長を阻害するような物質を出すのですね。アカマツがそうなのですけれど、アカマツの林の下ってこのあたりでは山ツツジが生えるのですけど、生えられない植物がたくさん出てくるのですが、根からいろんな分泌物を出して、他の植物の種の芽生えを阻害するというのが一番普通の方法なのです。じゃあ、ブナがそうしているかということなのですけど、それはまだよく分かっていない。その他、葉っぱからいろんな物質を出したりすることもありますし、そういう化学物質を使って、他に対して刺激を与えるというのが一番考えられる方法じゃないかと思います。
「ブナの葉の裏に毛が生えていますが、そのはたらきは? 保温だけ?」
植物にとってですね、毛っていうのは重要な意味を持っていると思うのですが、これもたかが毛のことかと、あまりまともに扱われないです。例えば花の柄なんかに毛が生えているとしますと、これは毛虫が上がりにくいですよね。そういう防御的な意味もありますし、それから確かに、例えば葉芽とか花芽の鱗片葉の内側に毛が生えているというのは、保温的な効果があると思います。ただし、イヌブナの毛っていうのは、ホントにぱらぱらっと生えているので、これがどういう意味を持っているのか、ちょっと分かりません。どういう意味があるのか考えてみたいですね。
「ヘビノボラズっていう木がありますね。ヘビが登って何かするの?」
あれはまあ、棘がいっぱいあるのですから、ヘビが登れないだろうと。金華山というのが宮城県にありますね。そこはご神体になっていて鹿が多いのですけど。行くと棘の生えている植物しか残ってない。棘のないのはみんな食べられる。棘のある植物か、ヤマシャクヤクみたいに有毒かどっちかです。棘っていうのは、あとは乾燥地でも多い。防御的なはたらき、食べられることから植物を守る機能を果たしていると思いますが、日本に生えている植物が、はたして棘が意味を持っているかというと、考えにくい。植物のある形がどういうはたらき、適合的な意味を持っているのかという視点では、まだ分かってないことがたくさんあるのです。
「日本のブナはササヤブが多いですね。見た目が美観ではないし、ブナにとっては?」
それも2説あって、ササが生えているからこそ、林の下が乾かない、ブナ林が維持できているという説と、ササが芽生えを傷つけるために、ブナ林の更新を阻害していると言う説と。だから、ササが生えるっていうのは、ブナにとっていいことではないと、そういう意見もあります。両方当たっていると思うのですけど(笑)。
「温暖化が進んでいるというのはどうなのですか?」
温暖化のための研究が行われていて、私も委嘱をされていますけど、だんだん北限がさらに北上し、温帯林の地域が狭められて、例えば仙台ぐらいまで常緑林、あるいは青森までシイの木林になってしまうといっている人もいます。そうじゃなくて、温暖化すると、植物は歩いて行くわけじゃないので、そうなるためには種子が北の方まで行ってそこで発芽して成長して初めてできるわけです。またそんな単純なものじゃなくて、すぐ移動距離が遠くまで行ける植物もあれば、行けない植物もあるから、そもそも今ある秩序が壊されてしまって、大変な森林の混乱状態が起きるのではないか。病虫害が発生したり、今ある秩序が壊されて、目を覆うような状況になるのだというシナリオを提出している人もいます。
「100年前ぐらい前と今の分布を比べると変化は? そしてこれからは?」
100年前どうだったかというのが、正確な分布があまりよく分からないですけれど、今残っているもの、あるいは天然記念物の群落に指定されて残っているもの、そういうものの一部はもはやほっておいたら、とても生存できないものもあります。分布は少しは動いていると思います。私としては、植物は一つ一つ個性が違いますから、温度が1度上がれば
500km自動的に森林帯が北に移動するとか、そんな単純にはならないと思います。よほど注意深くしないと。
温暖化対策というのは今からやって行かないと大変なことになると思います。温暖化で一番心配なのは、気温が高くなることよりは、温度が上がることによって、降水のパターンが変わることで、温度自体にはかなりフレキシブルな植物でも、降水のパターンが変わると、これは相当な変化です。現実に4大文明が生まれたというのも、氷河期のあとにですね。今まで雨がたくさん降った中緯度帯に、ほとんど雨が降らなくなったために、黄河の周辺とかインダス、チグリス・ユーフラテス、ナイル川の周辺に人が集まってきて、狭い地域にたくさん人が暮らすために、採集していたのでは間にあわないから、種を植えて栽培するということを発見したといいます。その背景にあるのは、降水のパターンが変わるということで温暖化で一番恐れなければならないのは、雨のパターンが変わることだと思います。
(記録 21期 松沢 邦之)