古代ローマのアッピア街道を歩くと目に入るものが幾つかある。そのひとつはコロシアムと水道橋。さらにひとつはローマ街道と笠松の並木。ついで寺院と大理石の墓地である。2,000年も前にこれら施設が出来今日でもなをその面影をのこしていることは驚きである。コロシアムと水道橋の基本的構造は良く似ている。積み上げられている石には丸い凹凸が上下左右に付いておりはめ込み式となっている。この石は大小があるが一般的に高さはおおむね30c㎡横40cmで長さは60cm程のものが多い。 特記すべきはこの石を接合しているローマコンクリートである。今日でもその成分は明らかでないが研究によると火山灰、炭酸カルシウム、火成岩の屑、レンガ屑に海水を混ぜ練ったたものであるといわれている。この海水を混ぜることで2,000経っても強度が増しているという。 ローマの美のひとつにローマ街道と笠松の並木がある。街道は幅が約6mで横断構造は下層に大きな石を敷き、中層は砂利、上層は粘土と砕石を混ぜたもの、表層は敷石で隙間にローマコンクリートを詰めてある。さらに両サイドには側溝が設けられ雨が降ってもすぐ路面が乾く仕組みになっていることは現代の舗装とあまり変わらない。 さらに、青い空に高くそびえるイタリア笠松は頭上20mを越えるところで枝を傘のように広げ木陰を街道に提供してくれる。サツマイモ大の松ボックリは市民が朝の散歩時に拾っているのをよく目にする。ローマ大学を首席で卒業したエルジーニによるとローマの人口が3万人まで激減し餓えたときがあり市民は食べれるものは家畜の内臓から松の実まで何でも口にし命を繋いだそうである。そこで、エルジーニと市民が利用するレストランで内臓料理を注文したところ一皿日本円で8,000円と高額であった。 旧バチカン近くのマンションに住み、旧ローマ市内の寺院を訪ねあるくと有名な寺院が多く見られ、それぞれに素晴らしいものが必ず見つかる。ある日、ローマに住み日本人女性と知り合い何処か印象にの残った寺院がないか尋ねると骸骨寺という。お願いし行ってみると入口から両ウサイドにドクロや人骨が8,000体前後高く積まれた通路を地下から一階まで回る様になっている。監視員が出入口におり見張っているのでどうしてかと聞くと持帰るものがいるとか。彼らの考え方にドクロは幸運をもたらすというから日本人の自分では理解できない考えかである。通りに出るとレバノンシーダ(レバノン杉)が目に入った。キリスト教徒にとって大事な樹でありキリストがゴラン高原の谷間に植林したとされる樹が現存すると聞いたことがある。 何処の寺院もキリストが説いた愛を題材にした芸術品に満ち溢れて、それぞれが輝いている。特に小鳥たちにも愛を説いたというアッシジのフランチェスコは旧バチカンも門前に弟子たちと佇み協会に愛を説いている。さらに、旧バチカンには別棟に聖杯やキリストが処刑の前に登った13階段があり人々がいまでもひざを折り階段を登っている。 ローマ近郊の町やフィレンツェに足をのばしてみると墓地にか糸杉、寺院にはレバノンシーダ、畑にはオリーブが目につく。近郊の山や公園ではヨーロッパオーク、トチノキ、クリノキ、ドイツボダイジュ、シデ、モミ、ドイツトーヒ、桧が混交している。ローマテベレ川沿いにはプラタナスやポプラが見られる。 3ヶ月ローマで過し夜レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港を飛び立ったとき眼下に広がるオレンジの夜景が素晴らしく美しい思い出になった。