ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes, Jr.) 地球上の富の半分を持つ男といわれた 1905年12月24日生まれ、アメリカの実業家・映画製作者・飛行家・発明家である。彼は20世紀を代表する億万長者として知られ、「資本主義の権化」と評された。...
イタリア北部アドリア海に浮かぶベネチアは低湿地帯のラグーナ(潟)に”砂上の楼閣”を造った海上都市である。まるで不可能といえる場所を選んだのかは当時ゲルマン民族が南下したことと海上交通の繁栄があったことからラグーナ(潟)の泥や砂だまりで小さな陸地に入植したことが始まりといわれる。さらに、大きな土地と大建造物を建てるためラグーナ上流の森からオークの直径20cm長さ4~5mを運び泥の中に隙間なく打込26万人が暮らす町を造った。 ラ・サールテ寺院でも100万本のオーク杭を粘土と砂の層まで打込みその上にイストリア石を積みで支えられているという。 このことから、「ベネチアを逆さまにすると森が出来る」といわれる程である。オーク材は水中にあることから1,000年経っても腐らず今日もベネチア海上都市を支えている。
シェル石油は日本で創業 · 09日 1月 2020
明治6年イギリスのゲットウ(ユダヤ人保留区)から旅立った1人の貧しい青年がいた。彼は9人兄弟の末っ子でお父さんは廃品を集め細々と暮らしていたが生活出来ないので末の息子にその日の売上を渡し自分で生活して欲しいと頼んだ。...
世界を支えるユグドラシル · 05日 1月 2020
北欧の神話、山室静の著書に世界をつらぬいてそびえる大木ユグドラシルがある。その詩。わたしは覚えている太古に生まれその昔わたしを育ててくれた巨人のことを九つの世界九つの根を地下にはりめぐらした、あの世界樹をわたしは覚えているこの木は大きなトネリコだといわれるが、ふつうはユグドラシルと呼ばれている。意味は恐ろしいものといわれ大神オーディンの別名であり、ドラシルは馬で「オーディンの馬」という。その後、天地がつくられ、人間が生まれた。 ユグドラシルは全世界に梢(こずえ)を広げ、天まで突き出ている。三つの根は、神々のところに、もう一本は巨人の国のところに、三番目の根は死者の国に届いている。この根の下には泉があって、毒竜ニドヘグが根をかじっている。巨人の国に伸びた根の下には、ミーミルの泉があり、知恵と知識をたたえている。神々のところの根は天に伸び、その下には、ウルドの泉があり神聖な泉のそばで神々は会議し、いろいろと決定をするのだ。 ミミールの泉の番人は水を飲むため知恵のかたまりになっている。ある日、賢いオーディン神がやってきて水を飲ましてくれと頼みましたがミーミルの番人はこれを断ったがオーディンはねばった結果。番人は一口飲ませてもいいがお前の片目をくれればといった。オーディンはすかさず片目をえぐり泉に投げ込んでたっぷりとミーミルの水を飲んだ。こうして、ますます賢くなったが、その後「片目の男」といわれた。 ウルドの泉は最も神聖な泉で三人のノルンが住んでいる。ノルンはギリシャ神話のモイラで人間や世界の運命を司る女神でウルドは運命。グェルダンディは現在、スクルドは未来の三人といわれる。さらに、泉には二羽のハクチョウが泳いでい るとか。神々の他には小人や妖精がいて人間の子供が生まれると必ず訪ねて来ての子の運命を定めると昔話にでて来る。 樹の梢には大きなワシがとまっていて、飛び立とうとすると世界に風が起きる。梢と根を行ききするリスがワシに毒竜の悪口を言い、毒竜にはワシの悪口を言うからワシと毒竜は仲が悪いのだという。
ヘブライ人(後のユダヤ人)の神ヤハウェは天と地が出来て、東のエデンに園をつくった。そこは、荒れ地に囲まれているが中に水が流れ多くの果実があり、中央に「生命の樹と知恵の樹」が生えていた。その実を人間が食べると生命や知恵を得ることができるといわれていた。エデンからは水が湧き四つの大河になった。ひとつはピション川でハビラに流れ、そこからは金と貴(き)石(せき)に樹脂(沈香)がとれた。ひとつは、ゴボン川でエチオピヤを流れた。ひとつは、ティグリス川でアッシリアの東方を流れる。ひとつは、ユーフラテス川でメソポタミアを流れる。神ヤハウェは土から男アダムをつくり、その男のあばら骨から女エバをつくつた。この話はシュメール語の原形があってつくられたと考えられている。 この中で一番の悪知恵をもったものが蛇(悪魔サタン)でエバにいった。「神は園の木の実を食べてはいけないと申されてそうですが、本当ですか」。エバは「食べても良いのですが、中央の樹の実は食べるどころかさわってもいけないといいました。そうすると死んでしまうそうです」。すると蛇はいう「死ぬことはない、その実を食べると神と同じ 善と悪の区別がわかるようになるのさ」。そこでエバは園の中央にある樹に行き、美味しそうな実をとって食べました。 それから、アダムを呼びアダムもその実を食べました。すると、蛇がいったように善と悪の区別する知恵が生じ裸でいることに恥ずかしさを感じ近くのイチジクの葉をとり下半身を隠した。 神ヤハウェが近づき約束を破り「知恵の実」を食べたアダムとイブに、この園から出て行き荒れ地を耕し食物を得なければならない。そして最後は、土に帰ることになる。アダムとイブは皮で衣服をつくり、不安とともに未知の荒野へ旅立った。 神はアダムとイブを追い出したあと、エデンの園の東に、ケルビムと回る炎のつるぎとを置いて、生命の樹の道を守らせた。 この「知恵の樹」は「生命の樹」に対する「死の樹」だったといわれる。 ところで、「知恵の樹」又は「禁断の果実」とは何かとゆうと、古中東地域ではバナナはイチジクと呼ばれ、マケドニア人のアレクサンドロス3世はインド遠征でバナナを見たとき、これをイチジクと記した。また、アラビア語で書かれたコーランに出てくる楽園の禁断の果実「talh」はバナナと考えられており、ヘブライ語聖書では禁断の果実は「エバのイチジク」と書かれているとされる。このことから、実は創世記に出てくる「知恵の樹の実」は、リンゴではなくイチジクでもなくバナナであった可能性がある。 さらに、生命の樹( Tree of Life)は、旧約聖書の創世記(2章9節)にエデンの園の中央に植えられた木。生命の木とも訳され、「生命の樹の実」を食べると、神に等しき永遠の命を得るとされる木の実は、世界各地にみられメソポタミアではナッメヤシが描かれる。カスピ海から中央アジアではブドウの樹がそう呼ばれている。
信長は漆器で軍資金を得た · 25日 12月 2019
織田家代々と信長は津島と熱田の貿易で経済力を蓄えた。さらに、堺に莫大な富があること知った。そこで、農地から得られる米やや金山銀山から得られる金銀より効率的で短期間に収益が得られることに目を付けた。また、斉藤道三が行っていた楽市をとりこんだり、さらに家来80人前後を伴い将軍足利義輝に謁見するとともに商業地大津、堺の町を見分しに出かけた。堺ではキリスト教に出会い、彼らが命より大事なキリスト像について堺の商人から話しを聴いた。そこで、尾張に戻り津島港からキリスト像を入れるクルスボックスを白や青螺鈿、金銀の漆器ででつくるよう指示した。 これが、大ヒットしクルスボックス以外の注文が入り莫大な軍資金を得る事となった。 そこで、農閑期だけの農民兵から何時でも戦いができる信長の専属兵を求めるふれをだした。当時は長男が家督を継ぐことからたとえ優秀でも武勇に優れていたも部屋住みで仕官は叶わなかった。その、次男、三男を対象に約800人を雇い入れ年間をとおし何時でも戦える兵を得た。 さらに、長槍武器の改良、軽装兵の武具の改善をおこなっている。戦い方も個人戦から団体戦、集団戦の戦い方を鷹狩りで徹底的に収得させ実践に向く集団に変貌させていった。また、敵の弱い所から攻めるのは常道であったが信長は指揮を行っている中心人物をターゲットにする戦術をとった。 当時の欧州では黒の良質なラッカーは無かったが日本の漆器の様に黒光りし金銀があし合われたその美しさは芸術品として絶品であった。彼らはクルスボックスの他の漆小物を大金を払い求めた。 この日本の漆はオーストリアのハプスブルクの女帝マリア・テレジアは贅の象徴である漆の間をつくり、後にフランス国王ルイ16世の妃になったマリーアントワネットを漆の間で育てたといわれている。 信長が天下とりに都に入ったとき、富みの集中は本願寺と堺にあることから矢銭を本願寺に5千貫、堺に2万貫を課することになる。 この様に、信長は日本の文化であった漆器で錬金術のごとく大金を得て、軍を整え鉄砲や火薬を仕入れていった。
イギリス艦隊の強さの秘密 · 23日 12月 2019
スペインが世界の覇権を握り「無敵艦隊」により富の独占がおこなわれていたことに対しエリザベスのイングランド海軍は海賊もまじえた海軍を組織し対抗した。...
絶世の美女木花咲耶姫 · 23日 12月 2019
桜の神様はコノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)という神様であり、竹取物語のかぐや姫のモデルにもなったといわれる、日本神話に出てくる国津神という神様である。ご利益は農業、火難除け、安産、子さ受けであり、山の神、火の神とされ富士山頂に奥宮を奉る、...
日本伝統工芸の漆器材 · 21日 12月 2019
1.ケヤキ ケヤキ材には赤材、青材があり一般に日本海方面の材は赤材が多い。青材は太平洋側 に産する。漆器に用いられるのは赤材で年輪の詰まったものが好まれる。山中温泉の 漆器製材所では縦引き材を生産し全国に提供している。 ケヤキは挽物によく使われる。乾燥がしやすいのと刃切れが良い。漆との馴染みも良...
古代ローマのアッピア街道を歩くと目に入るものが幾つかある。そのひとつはコロシアムと水道橋。さらにひとつはローマ街道と笠松の並木。ついで寺院と大理石の墓地である。2,000年も前にこれら施設が出来今日でもなをその面影をのこしていることは驚きである。コロシアムと水道橋の基本的構造は良く似ている。積み上げられている石には丸い凹凸が上下左右に付いておりはめ込み式となっている。この石は大小があるが一般的に高さはおおむね30c㎡横40cmで長さは60cm程のものが多い。 特記すべきはこの石を接合しているローマコンクリートである。今日でもその成分は明らかでないが研究によると火山灰、炭酸カルシウム、火成岩の屑、レンガ屑に海水を混ぜ練ったたものであるといわれている。この海水を混ぜることで2,000経っても強度が増しているという。 ローマの美のひとつにローマ街道と笠松の並木がある。街道は幅が約6mで横断構造は下層に大きな石を敷き、中層は砂利、上層は粘土と砕石を混ぜたもの、表層は敷石で隙間にローマコンクリートを詰めてある。さらに両サイドには側溝が設けられ雨が降ってもすぐ路面が乾く仕組みになっていることは現代の舗装とあまり変わらない。 さらに、青い空に高くそびえるイタリア笠松は頭上20mを越えるところで枝を傘のように広げ木陰を街道に提供してくれる。サツマイモ大の松ボックリは市民が朝の散歩時に拾っているのをよく目にする。ローマ大学を首席で卒業したエルジーニによるとローマの人口が3万人まで激減し餓えたときがあり市民は食べれるものは家畜の内臓から松の実まで何でも口にし命を繋いだそうである。そこで、エルジーニと市民が利用するレストランで内臓料理を注文したところ一皿日本円で8,000円と高額であった。 旧バチカン近くのマンションに住み、旧ローマ市内の寺院を訪ねあるくと有名な寺院が多く見られ、それぞれに素晴らしいものが必ず見つかる。ある日、ローマに住み日本人女性と知り合い何処か印象にの残った寺院がないか尋ねると骸骨寺という。お願いし行ってみると入口から両ウサイドにドクロや人骨が8,000体前後高く積まれた通路を地下から一階まで回る様になっている。監視員が出入口におり見張っているのでどうしてかと聞くと持帰るものがいるとか。彼らの考え方にドクロは幸運をもたらすというから日本人の自分では理解できない考えかである。通りに出るとレバノンシーダ(レバノン杉)が目に入った。キリスト教徒にとって大事な樹でありキリストがゴラン高原の谷間に植林したとされる樹が現存すると聞いたことがある。 何処の寺院もキリストが説いた愛を題材にした芸術品に満ち溢れて、それぞれが輝いている。特に小鳥たちにも愛を説いたというアッシジのフランチェスコは旧バチカンも門前に弟子たちと佇み協会に愛を説いている。さらに、旧バチカンには別棟に聖杯やキリストが処刑の前に登った13階段があり人々がいまでもひざを折り階段を登っている。 ローマ近郊の町やフィレンツェに足をのばしてみると墓地にか糸杉、寺院にはレバノンシーダ、畑にはオリーブが目につく。近郊の山や公園ではヨーロッパオーク、トチノキ、クリノキ、ドイツボダイジュ、シデ、モミ、ドイツトーヒ、桧が混交している。ローマテベレ川沿いにはプラタナスやポプラが見られる。 3ヶ月ローマで過し夜レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港を飛び立ったとき眼下に広がるオレンジの夜景が素晴らしく美しい思い出になった。