ヘブライ人(後のユダヤ人)の神ヤハウェは天と地が出来て、東のエデンに園をつくった。そこは、荒れ地に囲まれているが中に水が流れ多くの果実があり、中央に「生命の樹と知恵の樹」が生えていた。その実を人間が食べると生命や知恵を得ることができるといわれていた。エデンからは水が湧き四つの大河になった。ひとつはピション川でハビラに流れ、そこからは金と貴(き)石(せき)に樹脂(沈香)がとれた。ひとつは、ゴボン川でエチオピヤを流れた。ひとつは、ティグリス川でアッシリアの東方を流れる。ひとつは、ユーフラテス川でメソポタミアを流れる。神ヤハウェは土から男アダムをつくり、その男のあばら骨から女エバをつくつた。この話はシュメール語の原形があってつくられたと考えられている。 この中で一番の悪知恵をもったものが蛇(悪魔サタン)でエバにいった。「神は園の木の実を食べてはいけないと申されてそうですが、本当ですか」。エバは「食べても良いのですが、中央の樹の実は食べるどころかさわってもいけないといいました。そうすると死んでしまうそうです」。すると蛇はいう「死ぬことはない、その実を食べると神と同じ 善と悪の区別がわかるようになるのさ」。そこでエバは園の中央にある樹に行き、美味しそうな実をとって食べました。 それから、アダムを呼びアダムもその実を食べました。すると、蛇がいったように善と悪の区別する知恵が生じ裸でいることに恥ずかしさを感じ近くのイチジクの葉をとり下半身を隠した。 神ヤハウェが近づき約束を破り「知恵の実」を食べたアダムとイブに、この園から出て行き荒れ地を耕し食物を得なければならない。そして最後は、土に帰ることになる。アダムとイブは皮で衣服をつくり、不安とともに未知の荒野へ旅立った。 神はアダムとイブを追い出したあと、エデンの園の東に、ケルビムと回る炎のつるぎとを置いて、生命の樹の道を守らせた。 この「知恵の樹」は「生命の樹」に対する「死の樹」だったといわれる。 ところで、「知恵の樹」又は「禁断の果実」とは何かとゆうと、古中東地域ではバナナはイチジクと呼ばれ、マケドニア人のアレクサンドロス3世はインド遠征でバナナを見たとき、これをイチジクと記した。また、アラビア語で書かれたコーランに出てくる楽園の禁断の果実「talh」はバナナと考えられており、ヘブライ語聖書では禁断の果実は「エバのイチジク」と書かれているとされる。このことから、実は創世記に出てくる「知恵の樹の実」は、リンゴではなくイチジクでもなくバナナであった可能性がある。 さらに、生命の樹( Tree of Life)は、旧約聖書の創世記(2章9節)にエデンの園の中央に植えられた木。生命の木とも訳され、「生命の樹の実」を食べると、神に等しき永遠の命を得るとされる木の実は、世界各地にみられメソポタミアではナッメヤシが描かれる。カスピ海から中央アジアではブドウの樹がそう呼ばれている。